安くて薄い、そしてクサい「どこかで見たSF」
今回はAmazon Original SF映画「ムーンフォール」をレビューしマス。
筆者評価:★2.6
出演:ハル・ベリー/パトリック・ウィルソンなど
監督:ローランド・エメリッヒ
アマゾン・オリジナル映画は低予算でも、味わい深い作品の多いイメージだったので鑑賞しましたが、ちょっと期待はずれ。
確かに製作費の掛かっていない雰囲気は諸々に感じられるものの、問題はそこというよりも脚本(ストーリー)やメッセージ性の薄さにあるように思います。
とにかくどこかで見たような設定と、展開。基本的に退屈で、見応えがありませんでした。
ざっくりあらすじ(ネタバレ感想)
2011年、宇宙飛行士のブライアンたち3名が宇宙ステーション外でのメンテナンスをしていると、黒い「もや」のような何かが突如ステーションを襲ってきます。
飛行士の「マーカス」が犠牲となってしまい、もう1人の飛行士「ジョー(女性の名前)」は気絶。
ブライアンはやっとのことで地球へ帰還しますが、ブライアンの見たものは地球では、精神異常とみなされてしまいます。
10年後、ブライアンは家を追い出され、家賃を払うのもやっとの生活です。
そんな彼の元に「月は巨大構造物である」という陰謀論を信じているヲタクっぽい男性「K.C」がやってきます。
彼は月の動向をずっと追ってきていました。彼によると、最近になって月が何十億年も正しく公転してきた軌道をそれたというのです。
取り合わないブライアンでしたが、元同僚で現NASA幹部のジョーからの情報で、これが現実であるとわかり、地球を救うためにもう一度月へと向かうことを決めます。
ジョーの方は、NASAがこれまで隠してきた情報を入手します。それは「アポロ11号が月へ行った際、月の中から光の点滅を見た」というものでした。
つまりそれは、月には高知脳生命体の何かが存在していることを表していました。
月にポッカリと空いている約25kmの深さがある穴「危難の海」にその「なにか」が居て、その「なにか」は「有機体と電気信号」が共存すると襲ってくる習性があることを突き止めます。
ブライアン、ジョー、KCの3名は電気信号を持たない宇宙服を見に纏い、ロケットで危難の海へと向かい、電源を落として侵入していきます。
すると中は巨大な構造物になっていました。KCは自分が間違っていなかったことを確信します。
途中でロケットを起動して移動したところ、「何か」に襲われそうになります。
間一髪のところで扉が開き、助かります。
中は廊下や部屋がある施設でした。そこでブライアンは光に包まれ、全ての真実を伝えられます。
元々人類の祖先は別の惑星で高技術文明を築いていたが、AIの反乱によって惑星を追われ、外へと逃げたこと。
しかしほとんどは滅ぼされてしまったこと。
逃亡の中で「星を構造物で囲み、星を動力源として逃げる」という物体を作ったこと、そしてそのうちの一つが今の「月」であること。
そして月は太陽系の中に地球という「人が生きていけそうな星」を見つけ、ヒトDNAを送り込み、ゼロから文明を築かせたこと。
この最後の要塞である月がある限り、ヒトは無限に再生成されるため、AIはこの月を地球に落とすことで戦いを終わらそうとしていること。が明かされます。
ブライアンは地球を守るためEMP爆弾をAIに食らわせようとしますが、KCが願い出たことで、KCが担当することに。
これが成功し、月は地球に落ちずにすみました。
肉体は滅んだKCですが、意識が月の中に取り込まれ、月そのものと一体化することになりました。
月は「さあ始めましょう」とKCに問いかけ、KCは「何を?」というところで映画は終了です。
見たような展開と「既視感の真実」
本作は「世界の終末」を描いた作品です。
「世界の終末」はさまざまな描かれ方があります。例えば核戦争であったり、感染症(ゾンビ系など)であったり。
本作はそのうちの中でも、惑星としての死による世界の終末が描かれています。
厳密には「終末への抗い」です(終末しないというハッピーエンドなため)。
こうした世界終末系の映画は「ノウイング(2009)」、「2012(2009)」などで描かれてきているため、今更感が否めません。
散々描かれてきているからと言って描いたらダサい。ということではないにしろ、過去の「それっぽい」レールをなぞっているだけという印象。
また、僕個人的な感触として、こういった世界終末に「救い」を見る作品はあまり面白いと思えません。
「終末」と言うシステムは、それまでに構築してきた人間関係や社会・文明の無意味化として機能すべきで、その中でどのような変化が現れるのかを見たいのです。
だからこそ終末は対抗できない不可抗力として存在することに意味があると思います。
これを乗り越えようとする話の時点で、かなりげっそりではあったのですが、そこに「コメディチック」な描かれ方をしているので現実的行動や選択性がなく、それに加えて最終的には「シンギュラリティによるAIの反乱」が敵であることが、もうマトリックスなどで散々描かれてきているのでうんざり。
と言った感じです。
現実性の確保がない
「現実性」を映画に求めることは非常にナンセンスだと思われるかもしれません。
しかし僕が求めている現実性というのは、「エイリアンなんていねーよ」とか、「幽霊なんていねーよ」とかそういうことではなく、1つ(もしくは複数の)ぶっ飛んだ設定があり、その下で人々がどう動くのか。という現実性が必要ということです。
僕がクリストファー・ノーラン監督の作品が好きなのは、この辺りが非常に上手いからです。
(ノーラン監督は物理学に精通しているところがあるので、この辺りがうまいこともありますが)
本作は、世界全体の危機にもかかわらず、国家間のやりとりが非常に希薄であったり(アメリカの独断で月に核を撃つかどうか話していたり)、ロケットがもうないから博物館に飾られているやつを使ってみたり、みんな引き上げちゃったからという理由で素人をロケットに乗せたり(そもそも国家最高機密を一般市民に見せてしまっていたり)、月が落ちますよという報道一つで、地上は無法地帯へと成り果てたりと、現実性がどこにもなく、掴みどころがない作品になってしまっています。
1番腑に落ちなかったのは、惑星そのものを作るだけの技術文明があったよという点。
100万歩譲っても、そんな技術力があっても、惑星を何個も作るだけの「資源」があることに疑問が残ります。質量保存の法則が無視されているのであれば、頷けますが…。
それに加えて、ここまでの技術文明を築いているにしては、AIの反乱・シンギュラリティが遅すぎるのではないか?という点です。
「ある日シンギュラリティが起きました」という暴力的な説明の放棄は不服でしかありませんでした。
まとめ
今回は「ムーンフォール」をレビューしまシタ。
大々的に広告が打たれていたものの、そこまでの作品ではないだろうなとは思っていましたが、やはり予想通りでした。
残念ながら、設置や話の展開が擦られ過ぎたもので退屈でした。
人間の行動模様も描いて欲しかったものです。
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