E・ノートンの怪演
今回は1996年公開のクライム映画「真実の行方」をレビューしマス。
筆者評価は★4.1
主演:リチャード・ギア/エドワード・ノートン
監督:グレゴリー・ホブリット
事前情報なしで鑑賞しましたが、まさかまさかの内容でした。
正直、映画全体としてはそこまでの盛り上がりを見せるようなものではなく、要約すれば内容は単純な作品です。
主演のリチャード・ギアの演技も90年代の「おてほん」と言った感じの演技で、対立する女性検事の演技もそこそこという印象。
では本作に★4.1をつけたのはなぜか。
それは2000人の俳優からオーディションで選ばれたE・ノートンの演技が素晴らしすぎたから。
ざっくりあらすじ(ネタバレ)
ある日、住宅街で大司教が惨殺されるという事件が発生。
現場から血まみれで逃走した容疑者「アーロン」が逮捕され、第一級殺人罪で起訴されることとなります。
敏腕弁護士のマーティンは、アーロンの弁護をすることに。
アーロンは、「大司教に借りていた本を返そうと家を訪ねたところ、誰か大司教に覆いかぶさって殺害していた。そこで気絶してしまった」と発言。
アーロンは、孤児だった自分を父親のように育ててくれた大司教を心から愛していると言います。
マーティンは、アーロンの無実を確信し、裁判に臨みます。
気絶や記憶喪失が昔からあったことから、精神鑑定にかけると、アーロンの中には「ロイ」という暴力的な人格が存在していることがわかります。
それと同時に、大司教の家から孤児院の子供たちに「悪魔祓いだから」と理由をつけてセックスをさせたテープが見つかります。
そこにはアーロンの姿も写っていました。
動かぬ動機と、ロイの「殺した」という発言から、敗訴は確実かのように思えました。
しかし、マーティンは「アーロンが無実なことには違いがない」と考え、精神異常による責任能力の欠如ということで話を進めようとします。
法廷では誰もがもう一つの人格を信じませんでしたが、アーロンが検察からのきつい尋問を受けるうち、ロイが顔を出します。
ロイは検察の女性に襲い掛かり、「ぶっ殺してやる!」と大暴れ。
これまでおとなしかったアーロンとは似ても似つかない様子に、その場の全員がもう一つの人格「ロイ」のことを認めるのでした。
これによりアーロンは無罪になり、精神病院送りとなります。
裁判後、留置所のアーロンに会いに行くマーティン。
「君は無罪になったよ」
「本当ですか!ありがとうございます。また途中で気を失ってしまって…。」
「君は病気なんだ。しっかり治せよ」
「わかりました。本当にありがとうございます。検察官の方に、申し訳ないとお伝えください。」
マーティンはその場を去ろうとします。しかしあることに気が付きます。
「なぜ検察官に襲いかかったことを覚えている?人格が入れ違っている間は記憶がないんだろ?」
ロイは笑いながら話し出します。
「アーロンなんていないんだよ。俺はずっとロイだったんだよ。よくやってくれたなマーティンさん。あんたのおかげで無罪だぜ」
アーロンとロイ
気弱な青年「アーロン」から暴力的な男「ロイ」へと変身し、マーティンを捲し立てるシーン。
記録によるとアーロンは幼少期の父親からの性的虐待を受けた過去があり、この苦悩から逃れるためにもう一つの人格「ロイ」を作り出した可能性が高いということで精神鑑定が進められました。
こういった事例として実際にあった事件で有名なのは1970年代の「ビリー・ミリガン事件」でしょう。
ビリーは幼少期に義理の父親から性虐待・暴力を受けていたことから24もの人格を作り出してしまっていました。
本作はこの事件の影響を強く受けていると思われます。
ここで、ロイを暴れ回って化け物のようになってしまう様に描くのではなく、
汚い言葉でまくし立てながらも、自分の名前を名乗り遅れたことを「sorry,Im Roy」と詫び、マーティンと握手するシーンを入れるなど、
ロイにある程度の人間性と状況判断能力があることを描き切っている点が非常に秀逸です。
これは脚本が優秀な点ですね。
しかし何と言ってもここのE・ノートンの豹変ぶり。
本当に全く別の人間に見えます。心なしか身体もゴツゴツと男らしく・大きく感じます。
この変貌ぶり。サイコパス・多重人格・シリアルキラー系キャラクターが好きな僕の大好物です。
▼E・ノートンは1999年公開の映画「ファイト・クラブ」でブラッド・ピットとW主演でしたが、その際も二重人格者を演じていました。
ただ、「ファイト・クラブ」ではもう一つの人格「タイラー」はブラッドピットが演じたため、「豹変」という演技は見れませんでした。
E・ノートンは二重人格派俳優なんですね。
おそらくデビュー作の「真実の行方」で超ハイレベルな二重人格者を演じたため、「ファイト・クラブ」でもこの役がきたのではないかと思います。
E・ノートン以外がクサい
本作の良さは正直いって「E・ノートン」が9割。
リチャード・ギアの演技もそうだし、事務所の仲間たちも、検事も、裁判官も「演技という演技」をしている感が否めません。
つまり「クサい演技」だと感じました。
この辺りのディレクションをしっかりとできていれば、もっと語り継がれる名作になっていた可能性もあったのではないかと思います。
「俺たちはいいチームだ」
最終シーンでロイが放ったこの言葉。
今思い返すと、マーティンは期せずしてロイの手助けをしてしまっていました。
最初の留置所で会ったシーン。「僕は無実だっていう顔をしてろ」と指示したシーンで、
ロイは「いつもこの顔ですよ」と言います。
その後マーティンは「笑うなよ」といって二人で笑うわけですが
このシーンも思い返せば、ロイに「無実を訴えるときの顔」を教えてしまっていました。
裁判での尋問シーンでは逆に「もっと男らしくしろ」とマーティンが囁いたことで、「ここでロイの人格を出せば裁判に勝てる」とロイに確信させることとなります。
最終的に人格は「ロイ」に統合されてしまっていたわけですから、かなり複雑な事象になっていますが、最後まで見てやっとマーティンの犯してきたミスの大きさがわかります。
クライアントを無罪にしたのに、なぜかものすごい後味を残す映画となっています。
まとめ
今回は「真実の行方」をレビューしまシタ。
サイコパス系の犯罪者として、エンターティメント系映画の中ではヒースレジャーのジョーカーがぶっちぎり。
法廷もの映画ではこのE・ノートンが1位ですね。
E・ノートンは今は50歳を超えているベテランですが、まだまだ現役です。
ぜひ見てみてほしい作品です。
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