蜃気楼と共に立ち現れた、3日間の「地獄」
今回はNetflixオリジナルドキュメンタリーシリーズから「とんでもカオス!ウッドストック1999」のレビュー、加えてこのウッドストック1999の状況と日本の若者を重ね、今後起こり得る革命について考えマス。
筆者評価:★4.0
ネトフリのドキュメンタリーシリーズは、非常に高品質なものが多数存在しています。
殺人鬼を追ったドキュメンタリーや、カルト宗教に潜入するものも面白いのですが、音楽関係のドキュメンタリーも人気です。(日本ではそこまで人気ではないようですが)
そんな音楽ドキュメンタリーの中に本作を見つけました。
邦題こそ死ぬほどクソダサいですが、内容は素晴らしい。
本作のビジュアルに訴える力はとてつもなく、そしてその原因には「大衆心理・群集心理」や「資本主義・貧困への反発」など、さまざまなものが絡んできており非常に良質なドキュメンタリーでした。
そして最も感じたのは、まさにこのウッドストック1999は現在の日本に当てはまるのではないか。ということでした。
ウッドストックとは?
「ウッドストック」は、1969年にスタートした音楽フェス。
NY州で開催され、8月の3日間かけて行われ、ロックを中心とした音楽を楽しんだものでした。
来場者数はなんと40万人。広大な土地を埋め尽くす人々は、愛と平和を叫ぶヒッピーなどを中心に、人数にしては驚くほど平和的に幕を閉じたと言います。
ベトナム戦争などに対する「反抗的なメッセージ」として、「愛と平和」が叫ばれたわけです。
主催者は地元の若者「マイケル・ラング」。彼はその後もウッドストックを開催していきます。
そして時は経っていき、1999年に開催されたウッドストックは、混沌と暴力に満ちた「地獄」へと変わっていってしまいます。
「愛と平和」から「怒りと暴力」へ
1969年当初叫ばれた「愛と平和」とは裏腹に、1999年のウッドストックは「怒りと暴力」に塗れることとなります。
3日間にわたって開かれたフェスが、日を追うごとに狂っていく様子が本作からわかります。
初日から既に薬物が横行し、ハイになった若者たちは男女問わず裸になっていきます。
子供も多くいる中で行われた行為でした。しかしここまでは、人間の動物的本能の解放や、抑圧からの解放という面において、まだある一定の音楽的価値空間の秩序は守られている感がありました。(ギリ)
2日目には、破裂した水道管から溢れ出た汚物混じりの泥に塗れた客たちが騒ぎ、さらに女性への身体的な接触も加速。
音楽による熱狂も加速し、自分で自分の頭を叩きつけて出血するものや、殴り合いをるものも出てきます。
さらに施設の壁を破壊したり、モノを投げつけたり、出演アーティストに「Show your tits!(オッパイを見せろ!)」と暴言を吐いたりと、明らかにその様子は負の力を強く持ったものになっていきます。
そして最終日、ついに事件は起こります。
疲労や劣悪な衛生環境によって倒れる人が続出し、加えて客の暴走が進んでいきます。そこへあろうことか主催のマイケルのサプライズ演出によって、消防署への届出なしで火のついた蝋燭を配ることになります。
これは最終日の大トリ「レッド・ホット・チリペッパーズ」の出演に合わせた演出でした。
火を手にした暴徒たちは、次々と会場へ火をつけていきます。爆発まで起き、その様相はまさに戦場そのものとなります。
収集がつけられなくなったその時、ついに州警察がシールドや警棒などの武器を持ってこれを鎮圧。
こうしてウッドストック1999は幕を閉じます。
なぜ1999年のフェスではこんなことになってしまったのか?その原因についてはさまざま話されていると言いますが、本作で伝えられていたのは「資本主義への反抗」でした。
資本主義への反抗・革命
本作の解釈によると、当時は「資本主義への反抗」的な考え方が流行していたようです。
同年公開の「ファイト・クラブ」が大ヒットしたことにもわかるように、大量に消費させられ、「それっぽいことを並べられ」搾取されることへの反抗が、若者を中心として育っていました。
また本作によれば、ファイト・クラブの持つ暴力的な自己表現(殴り合うことによる男性性の獲得など)がウッドストック1999にもたらした影響もかなり多いと語られています。
実際に、ウッドストック1999は「観客への体験の提供」よりも「金儲け第一」になっていました。
予算をできるだけ削り、利益を出すために、やらなければならないことを放棄してしまったのです。
まず警備員は、プロではなくそこら辺の素人に対してアルバイトとして採用していました。
彼らは有名アーティストをタダで見られるならという理由で警備員になり、当日では「警備員の服を着てれば入っちゃいけないバックステージもいけるよ」と言って400ドルで服を売ったものもいたようです。
これによって警備能力が全く機能していませんでした。
加えて、フェス内での飲食物販売を外部に完全委託しました。
これによって物価が超高騰することとなります。最終日には水のペットボトル1本の値段は12ドルを超えることとなります。
さらに業者をケチったことによりインフラが崩壊。
トイレはもはや回収が間に合わず、汚物が溢れかえってしまいます。シャワー施設も数が全く足りず、長蛇の列。これに怒った若者がパイプを破壊。これによって汚水も溢れてきます。
ゴミ箱の数・そして回収も全く追いつかず、地面はゴミで覆われ、悪臭を漂わせます。
日陰が用意されなかったことも問題でした。
猛暑にもかかわらず、休憩所としての日陰が全く用意されず、客はみんな停めてあるトラックの下などのわずかな日陰を取り合いました。
寝る環境もなく、テントも数少ないため、コンクリートの上で寝るしかありません。
客はみんな、入場料150ドルを払ってきており、さらに中での法外な価格の飲食物を買わされました。ゴミと汚物に塗れ、ろくに寝ることもできない。
こうした中で、どんどんと負のエネルギーが溜まっていったのでした。
資本主義が凝縮されたような、搾取の体制をとったウッドストック1999への反抗は「怒りと暴力」としての形を変えていくのです。
この3日間は、資本主義誕生から終焉までの過去と未来を凝縮したもののように見えて仕方ありません。
資本主義は「搾取する側」と「搾取される側」のバランスによって成り立っている仕組みです。
このバランスを間違えた結果、暴力による革命が起こされた。というふうに見て取れます。
まさに「ウッドストック政権」は、若者たちによって倒されてしまうのです。1999年以降、ウッドストックは開かれていません。
日本は今、ウッドストック1999そのもの
このウッドストック1999、全く過去の歴史ではなく、今現在の日本そのものであると思います。
ウッドストック運営側は既得権益にすがり、利益を追求しました。これはそのまま日本における既得権益保持者に当てはまります。
ウッドストックの若者は、干からびるまで搾取されます。これも日本において、高齢者優遇政治によって追いやられ、安賃金で労働させられ、世界一の自殺者にまで追い込まれ、税をむしり取られる若者そのまま。
「ウッドストック1999のチケットを買ってしまったから、帰るわけにはいかない」は「生まれてしまったから生きなくてはいけない」という状況と同じ。
さらに首長であるマイケル・ラングは日本の「老害」そのものを表しています。
彼は確かに1969年時点では、時代を代表するオピニオンリーダーでした。ベトナム戦争への反戦を掲げ、音楽で一つになる。
しかし彼は1999時点でも全く同じものを掲げました。そしてそれを全く譲りませんでした。過去の栄光に「閉ざされて」しまったのです。
これは日本でも全く同じ。自身の経験してきた価値観だけが正しいと信じて疑わない「老害」そのもの。同性愛や選択的夫婦別姓問題では度々顕著に現れます。
訴える術や、既存の体制の中では何も変えられないことを悟ってしまった我々が次に起こすアクションは、ウッドストックの若者のような「革命」なのかもしれません。
女性の被害
会場では異様な熱感が発生していました。
男は裸になったり、女は胸をさらけ出したりして、日常からの解放を楽しみます。
しかしこの「熱感」は加速していきます。
アルコールとドラッグ、そして猛暑による判断能力の低下によってエスカレートしていき、夜になるとところかまわずsexを始める男女も出てきます。
こうした「無法地帯」になったウッドストックですが、やはり「体を触られたくない」という女性もいれば、「触られてもいいけどsexはしたくない」という女性は多数いたわけです。
しかし、こうした意志は「熱感」を理由に無視されてしまいます。
これが後々、ウッドストック内で多数のレイプ・セクハラが起きていたという結果につながります。
主催者側は「好き勝手に服を脱いで、そう言った行為をしていたのだから我々にはどうしようもない」というスタンス。
しかしそもそも子供も多くいる中で、こうした恥部を晒す行為は主催側が止めなくてはなりません。
この頃の、見られる・触れられる存在としての「女性」という風潮の罪を、今一度確認する必要があるでしょう。
まとめ
今回はNetflixドキュメンタリー「ウッドストック1999」を現在の日本と絡めながら考えてみまシタ。
むしろ40万人が一同に会している時、そこで事件が起きないことの方が珍しいことではないか?と思います。
そう考えると1969のウッドストックが平和的で愛に満ちていたということを考えると、やはり共有できる「悲劇」としての戦争がどれだけ大きな存在であるかがわかります。
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