透け、広がる、愛と美しさ
今回は2003年公開の「真珠の耳飾りの少女」をレビューしマス。
筆者評価は★4.2
主演:スカーレット・ヨハンソン
監督:ピーター・ウェーバー
言わずと知れた、フェルメールによる世界最高級の名画「真珠の耳飾りの少女」の誕生までを描いた本作。
この絵のモデルの女性や、フェルメール自身についてなど、多くのことが謎に包まれているため、本作で描かれる誕生秘話は、完全にフィクションです。
「あったかもしれない」誕生秘話となります。
とはいえ、「真珠の耳飾りの少女」のあの切ないような、暖かいような、悲しいような、嬉しいような、色んな感情を含んでいるあの表情を説明する物語としては、かなりクオリティは高かったのではないかなと思います。
ざっくりあらすじ(ネタバレ)
父親が仕事中の事故で失明したことをきっかけに家計が厳しくなり、働きに出ることとなった少女「グリース」。
彼女が働きに出たのは、「フェルメール」という画家の家でした。
劣悪な環境、かつグリースの容姿が美しいことから嫌がらせも受けつつ、健気に働くグリース。
彼女はフェルメールのアトリエの掃除も担当します。椅子の配置や、光の入り方などへの考え方で、美的センスを顕にするグリース。
フェルメールはグリースに興味を持ち出します。
彼女をモデルとして絵を描くフェルメール。彼女に自身の妻の真珠の耳飾りを秘密で付け、アトリエに呼んでは描く日々。
しかし妻にバレ、大きな口論に。
グリースは出ていけ!と言われてしまいます。
後日、フェルメール家を離れたグリースの元へ、あの時つけていた真珠の耳飾りが届くのでした。
少女スカヨハを中心とした絵画の世界
撮影当時18歳ごろのスカヨハ。あどけなさが残りつつ、絵画的・彫刻的な造形美を持ち、女性としての色気も強く持つ存在として、本作を大きく支えています。
(この後、緑色の巨人や空飛ぶ鎧男、超鋼鉄ハンマー男、蜘蛛男と宇宙で戦うことになるとはね…笑
映画全体にディズニー的な世界観がありつつ、手荒れや洋服の汚れ、アザなどダークな側面もあり、みていて飽きない作品です。
どこで切り取っても、絵になる本作。
特にフェルメールのアトリエの採光具合は、絵画世界そのもので、かなりフェルメールが過ごしたアトリエに近いのではないかと思います。
それにしても、写真などない頃の「フェルメールのアトリエに近い」と思わせるほど精巧に描く「フェルメールの絵画」には、驚くばかりです。
嫌なやつばっかりすぎかも
基本的にみんな意地悪です。
フェルメール本人も、結局自分のことしか考えてない。
妻はもちろん意地悪です。これは許容範囲。妻からすれば、美しい若い女は目障りですよね。
妻の母親。たまに助けてくれますが、基本的に「使用人と主人」の関係なので、意地悪です。
フェルメールの娘たち。これは直接的に意地悪を仕掛けてきます。洗った服に泥をつけたり。
グリースにのしかかるストレスは、観客たちのストレスとリンクしています。
これだけのストレスが続く場合、どこかでこのストレスの解放「カタストロフィ」が必要です。
が、本作では基本的にこの解放がなかったかなと。
フェルメールに「描いてもらう」。最後に真珠を「受け取る」。これがカタストロフィ(?)なのかなというところですが、弱い。
いい感じだった精肉店の店主が家に乗り込んできて…!とか。フェルメールに対して立場が逆転するような出来事が…!とか。そういったカタストロフィが必要であったように感じます。
まあ、このカタストロフィがないことによって作品全体にリアリティが生まれてはいるのですが…。
「心まで描くの?」
本作の1番のフレーズは、フェルメールが描いた自分の絵を見たグリースの「心まで描くの?」です。
心に強く衝撃を受けたような表情と顔で言う「心まで描くの?」は、他の名作映画の名セリフに引けを取らないクオリティ。
「真珠の耳飾りの少女」が名画たる所以は、描き手のフェルメールの「心」と、被写体の女性の「心」が筆に乗っているところにあるわけですね。
まとめ
今回は「真珠の耳飾りの少女」をレビューしまシタ。
登場人物の数や、その種類、建物の造形の分かり易さなど、よくできた映画です。
何と言ってもスカヨハの現実離れした美しさが、本作の中心を支えています。
1枚の絵から、ここまでの作品を思わせるフェルメール。
絵画にはこういったストーリーがあります。
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