ナンセンスなプロモーションとは裏腹な良作
今回は、2016年公開のスリラー映画「グッド・ネイバー」について考察したいと思います。
この作品では、ネタバレ=作品の良さがなくなってしまうことに直結しますので、また未視聴の方は十分にご注意ください。
ポスターや予告からはB級映画の匂いがぷんぷんと漂ってきますが、そんなことはありません。プロモーションが非常にナンセンスなだけです。
主演のジェームズ・カーンは、ゴッドファーザーシリーズで知られるベテラン俳優で、彼がB級映画に出ることは基本的にありません。
ざっくりあらすじ(ネタバレ)
少年ショーンと、近所に住んでいるイーサンは、向かいに住んでいる不気味な老人に対して社会実験を行おうと試みます。
老人の留守の間に家に侵入し、無数のカメラを設置。スイッチ一つで怪奇現象が起こるようにさまざまな装置を設置します。
カメラの映像をショーンの家から監視し、リアルタイムで怪奇現象を起こし、その反応を記録します。
後々になってわかりますが、この老人がターゲットになったのは、ショーンの家族問題が関係しています。
ショーンの父が、母に手をあげた際に、向かいに住んでいたこの老人が仲裁に。そして警察沙汰となってしまい、ショーンとショーンの父は離れ離れになってしまうのです。
ショーンはこの原因を、仲裁になど入ってきた向かいの老人のせいだと考え、実験と称して嫌がらせをしていたのでした。
さまざまな嫌がらせを仕掛けていきます。ドアがひとりでにバタンバタンと鳴ったりとか。勝手にCDプレイヤーが鳴り出したりとか。窓ガラスが割れたりとか。電気がチカチカしたりとか。
しかし老人の反応はどこか普通ではない。あまり焦る様子もありません。と思えば突然扉を斧で破壊したり。その異様な様子から、やはりこの老人はどこかおかしいと思い出します。
そしてショーン最大の関心は、鍵のかけられた地下室。
地下室へと降りて数時間上がってこないこともあるこの老人。この老人の謎の鍵を握るのはこの地下室だと考えるようになります。
次第にショーンの実験はエスカレート。イーサンはもうそろそろ辞めないと、大変なことになってからでは遅い。と実験にネガティブな感情をあらわにします。
しかしショーンは止まりません。そんな言い争いをしていると、老人の飼っているネコがカメラにちょっかいをかけていることに気がつきます。「おいおいやめてくれ」と焦る2人。ついにカメラはゴトッと下に落ちてしまいます。
ショーンは、老人が寝ている間に、家に侵入してカメラを回収しなくては。と言い、ハンドガンを持って恐る恐る老人の家へ。イーサンは家に残り、映像を見て何かあったらショーンに連絡をできるように準備。
ショーンは無事カメラを回収しましたが、やはり地下室が気になります。今なら鍵が空いている。
「何してんだよ!早く帰って来い!」とイーサン。
すると、老人が物音を聞き起きてきます。さらにその手には、ハンドガンが。
ショーンは地下室で特に何も見つけられませんでした。ちょうど古いベルを手にしたところで、老人が起きてきたことに気づき、ベルを別の場所へと置いて、急いで隠れます。
すると老人がやってきます。バレたらまずい。ショーンは息を呑みます。イーサンにも緊張が走ります。
すると突然、老人は自身の頭めがけて発砲。自害してしまうのです。
イーサンはその様子を見て現場に駆けつけます。
そこへ発砲音を聞きつけた警官が駆けつけ、二人は逮捕。
その後の裁判では老人についてのさまざまな真実が語られます。
2人は直接手にかけたわけではないこと、あくまでも老人の自害であったこと、未成年であること、初犯であることを考慮し、不法侵入・器物損壊罪として軽い刑で済みました。
裁判所を出ると、大勢のマスコミや野次馬が。大量の人が自分に注目している。ショーンは不敵な笑みを浮かべ、映画は終了です。
「このジジイ、かなりヤバい」がかなりヤバい
この、映画ポスター。
キャッチコピーのつもりなのか、「このジジイ、かなりヤバい」という文言。これを付けようという会議を行った担当者たちが一番「ヤバい」です。
ミスリードもいいところのナンセンスの塊。
この老人は、亡くなった妻に想いを馳せているだけで、特に暴力を振るったりするわけでもなければ、グロシーンもありません。ドント・ブリーズのようなサイコホラー・グロホラーの雰囲気にしたかったのか知りませんが、非常にナンセンスなコピーだと思います。
そもそも、背景に採用されているカメラ映像でも、女の子がカメラに気づいている写真がありますが、これも老人全く関係ないです。詐欺のようなプロモーションをして、程度の低いオーディエンスを集めても、結果として評価は上がらないのですから、このようなプロモーションは本当にやめた方がいいと思います。
老人の最期は不幸だったのか
本作では、少年らのイタズラがエスカレートした結果、老人が自害してしまいました。
裁判でも、老人の心境については知る由もないため、客観的事実だけを見ると、孤独に暮らす老人を若者が虐めたせいで亡くなってしまった。
という因果関係に見えます。
しかし実は、10年以上、妻を失った悲しみにさいなまれていた老人が、怪奇現象から妻の存在を感じ取り、妻の元へと行く。というのがこの事件の真実。
実は、ショーンが動かしたベルは、老人が、妻に対して生前送ったものでした。
ガンにより病床につく妻にベルを渡し、大きい声を出す事なく、ベルを鳴らすだけで老人を呼べるように。とのことからでした。
最後に老人は、一人でに移動したベルを見て(実際はショーンが移動させた)、妻が自分を呼んでくれていると感じて、自害することにするのです。
孤独に生きた10数年に決着をつけ、妻の存在を感じて最後を迎えたのです。
もちろん、少年らがしたことは許されることであありません。
しかし、老人にとって本当に幸せだったのは、孤独に妻を失った存在として生き続けることなのか、それとも妻の存在を感じ、妻に呼ばれたと感じて一生を終えることのどちらが幸せだったのでしょうか。
少年らは図らずして、大きな大きな分岐点を生んでいたのです。
再生数至上主義
作中でショーンは、「再生数が稼げれば、なんだっていい。世間からの注目を受けたい」という発言をしていました。
老人の自害は、ショーンの計画外の出来事でしたが、結果として多くの人の関心を受けることになります。
もちろん、これはプラスの反応ではありません。犯罪者や悪人としての注目を受けているものです。
老人の命を奪っておきながら、少年ということで軽い罪で済んでいることへの批判ということです。
しかし、裁判所から出たショーンは、自分への注目が一気に集まっていることを認識します。
元々のショーンの希望である「再生数がいけば、注目を受けれればなんでもいい」が達成された瞬間ではあります。
ショーンは少しだけ笑みを浮かべます。
これは現在のSNSなどにおける再生数至上主義への警告にも感じられます。
ちょっと映画全体としてのメッセージ性とブレるところはあるような気もしますが。
今読んでいただいているこのブログも、結局視聴数・PV数によって収益が発生します。
世の中にはフェイクニュースなどで飯を食べる人もいるわけです。再生数になればコンテンツの中身はどうでもいい。という風習。
今後も問題として上がり続けるでしょう。ショーンの笑みは、この再生数至上主義とも言える状態について考えさせられる描写でした。
残念な点
確かに、この映画では途中まで「怪しい・イカれた老人」と「それを監視する少年」という構成で話が進み、後になって真実が明らかになり「妻を失った孤独な老人」と「間接的に妻の存在を再現した少年」という構成へと変わっていくという話です。
そのため、序盤でどれだけ観客も老人に対して「なんだこの老人は」と思わせることが必要です。
必要なのはわかりますが、後々の「妻を失った孤独な老人」への観客の気持ちの変化が美しいグラデーションにならなくてはならないと思います。
ですが、途中でバタンバタンと開閉する扉に、斧を持ち出して破壊する様子や、犬を散歩していた男性に「次に犬を近づけたら切り刻んでやる」と言い放ったりとか。そういったシーンはいらなかったと思います。
入れ込むとしても、扉を蹴るだけとか。犬を連れた男性には睨むだけとか。その程度で良かったと思います。これらのシーンは真実が明らかになった後でも回収しきれない「不穏さ」になってしまっていました。
この点だけ、残念な点でしたね。
まとめ
今回は、映画「グッド・ネイバー」を考察しました。
映画全体に流れていた不穏な雰囲気と、テンポの良さ、映像手法の斬新さ、途中途中で挟まれる法廷シーンなどがよく機能している良映画でした。
今後もこういったSNS周辺での事件は起きていくでしょうから、今後も見る価値のある映画になっていると思います。是非見てみてください。
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