【映画考察】浅草キッドと邦画世界【Netflix】

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超一級の邦画がネトフリに登場

若かりし頃のビートたけしと、その師匠・深見を描いた映画「浅草キッド」。

普段、邦画は全くといって良いほど見ない僕が、面白いと思えた久しぶりの映画でした。

今回はこの「浅草キッド」について深堀したいと思います。

邦画とカネ

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Photo by David McBee on Pexels.com

邦画では、実力のある俳優よりも、とりあえず「人気者を使う」というスタイルが多いです。

例えばアイドルや、お笑い芸人、タレント、モデルなど。「演技力<知名度」というキャスティングが多い。

邦画に限らず、洋画の映画の吹き替えなどにも、声優でもなんでもない人物がキャスティングされ、「吹き替えがひどい」と評価を受けることもしばしば。

これは、僕があまり「邦画を見ない・吹き替えで映画を見ない」ことの理由に直結しています。

とはいえ、これは仕方のないことなのです。日本国内向けの映画である邦画は、市場が非常に狭いので、こういったマーケティングを取らなければ映画としてのビジネスが成り立ちません。

赤字を確定して良いものを作ろうとすれば、そうはならないかもしれませんが、それは「映画産業」として何も成り立っていません。

映画の質を多少下げてでも、人気者を出し、より多くの人にお金を落としてもらう。これを選択するのは至極当然のことです。とにかく邦画には「金」が絡んでくるということを理解する必要があります。

柳楽優弥の演技力

©︎Netflix

その上で、「ビートたけし役は柳楽優弥」。

これを知った時の正直な感想は、「いやいやビートたけし役にイケメン俳優って、また邦画のいつものやつか」でした。

とはいえ、監督が劇団ひとりなことと、浅草にはよく遊びに行っていたこと、ビートたけしについてちょっと知ってみたいとの思いから、観ることとしました。

しかし観終わって一番残った印象は「柳楽優弥が凄すぎる」というものでした。

ビートたけしの特徴である、瞬きや口の曲がり具合、肩のクセなどを演じながらも「モノマネ」ではなく、しっかりとその本人に見えてくる凄さ。

タップダンスも大量に練習をしたとのこと。

タップダンスという品のあるものと、男臭さと泥臭さが共存したこのシーンは、邦画史に残るレベルの良シーンでしょう。

「師匠と話すタケシ」、「女性と話すタケシ」、「周りの仲間と話すタケシ」など、それぞれ違った表情や雰囲気を見せる細やかな演技もとても良くできていました。

映画の早い段階から、もう柳楽優弥がビートたけしに見えてきて仕方がないのです。

岡田斗司夫の演技論

しかし、いくらプラットフォームがNetflixとはいえ邦画は邦画。と言わざるを得ないのか、映画の構成として、あまりに「わかりやすすぎた」かもしれません。

僕は岡田斗司夫の演技論がとても優れていると感じており、自分の演技観や映画観などと近いと思っています。

それは「動きと演技の違い」です。

岡田の演技論によると

  • 動き・・・見ているだけで分かるもの。一意。
  • 演技・・・見る側が「読む」もの。多意。

というカテゴリ分けがされます。例えば雪山で何時間も歩いたAさんが、やっとの思いで山小屋について、温かいスープを振る舞われたとします。

その時、「動き」では「あったかい…。なんて美味しいんだろう…。」と台詞が入り、にっこりと笑い、スープを平らげ…と画が進みます。

「演技」では無言であったり、スープを飲む途中に吐かれる白い息から、見ている側が「きっと美味しいんだろう、温まっているのがわかる、息継ぎが必要なほどがっついているのかな、」などと思いを巡らせます。

この論から、「浅草キッド」を考察するとやはり、邦画特有の説明グセが抜け切れておらず、強い言葉を使えば「わざとらしい」動きが多いです。

それは邦画の特徴でもあり、それが日本全体に受け入れられていることは事実ですから、仕方ありませんが…。

ネトフリでよかった

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Photo by John-Mark Smith on Pexels.com

本映画は、ネットフリックスという最強のプラットフォームで作成・公開されました。

邦画では基本的に制作費がかけられないため、SF映画やアクション映画を撮る際は、ちゃっちぃくなってしまいます。

しかしこれは、ハリウッドという存在があるため仕方のないこと。とはいえ「ジョジョの奇妙な冒険」の実写化は、こういった日本のよくないところがぎゅっと凝縮されており、あの様な映画はあまり作らない方がいいでしょう。

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Photo by Kyle Loftus on Pexels.com

「浅草キッド」はSFでもアクションでもありません。ヒューマンドラマ系の映画です。

それをネットフリックスで作成したことは、一見、「制作費を大量にかけなくても作れるのでは。」と考えてしまいます。

本作は1970〜80年ごろの浅草が舞台となっています。街並みを作成するのには、美術費やCG費でかなりの制作費が必要です。

映画を見ていて、不自然と思う箇所はほとんどありませんでした。これが非常に重要であったのではないかと思います。

しっかりとこの浅草の世界へと視聴者が没入できたこと。現代の匂いを残さなかったことが重要なのです。これにはお金がかかるもの。ネットフリックスというプラットフォームでこそ実現できたと言えるでしょう。

ビートたけしの曲「浅草キッド」

もともと、「浅草キッド」という曲をビートたけしが歌っていたのは知っていました。

知ってはいたものの、ちゃんと聞いたことはなかったですし、歌が特別うまいわけでもないなとくらいにしか思っていませんでした。

しかし、映画「浅草キッド」を観た後でしっかりと聞くと、深見との強い思いが感じられ、とてもいい歌だったことがわかります。

また、逆に監督である劇団ひとりが、ビートたけしとこの曲「浅草キッド」に対して強い思い入れがあることも映画を通して伝わってきます。

「煮込みしかないくじらや」「同じ靴」「こたつひとつのアパート」などなど、監督のこだわりや本気具合が伺えます。

まとめ

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今回は、映画浅草キッドを通して、「演技」や「邦画」について考えました。

これまで邦画は基本的に観てきていませんでしたが、もちろんモノによってはこの浅草キッドのように質の高い映画もありますから、今後は見ていこうかと思います。

「動き」ではなく「演技」かどうかというところに着目して映画作品を見てみるのも、おもしろいと思いますので、ぜひ試してみてください。

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