【映画レビュー】マトモが1番難しい「カリートの道(1993)」【ネタバレ感想考察】

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今回は1993年公開の「カリートの道(Carlito’s way)」をレビューしマス。

筆者評価は★4.3

主演:アル・パチーノ

監督:ブライアン・デ・パルマ

話は非常に単純で、元麻薬王が堅気になろうと奔走するもの。

しかしその間にも、一度足を踏み入れてしまった闇の世界からのしがらみが強くのしかかります。

映像も2人称視点や3人称視点、神の目線を効果的に使い分けており、表現力に富んでいました。

映画冒頭でカリートが撃たれ、病院に運ばれていくという結末から逆算していく方式であるものの、どうにか逃げてくれ!と最後まで願ってしまう引き込まれ具合でした。

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ざっくりあらすじ(ネタバレ)

麻薬王カリートは弁護士クラインフェルドの尽力によって、服役30年のところを5年に短縮。

獄中では多くの本を読み、ムショを出た後は、闇家業から足を洗うことを決意します。

75000ドル集め、南国バハマでレンタカー屋をやり、残りの人生を平和に暮らしたいと願うカリート。

しかし5年ぶりにシャバに出てきた麻薬王を周囲は放っておきません。

5年ぶりに会う友人や信頼を置いた人々も皆、カリートを裏切ったり、売ったりしようとします。

クラインフェルドの紹介で、ナイトクラブの経営を任されたカリート。

順調にお金を貯めていきます。

そこへ「ベニー・ブロンコ」という若いチンピラが現れ、カリートのファンだと近づいてきます。

カリートは相手にしません。その後ベニーが、店の女性を巡ってトラブルを起こすと、カリートはブチギレ。「お前のようなクソチンピラが!黙ってろ!2度と俺の店に顔を出すな!この女は店の女だ!お前みたいなゴミカスのじゃねえ!」

ベニーを階段から突き落とし、裏口のドアから路地へ放り出します。

昔のカリートであれば、「こういうときは殺した方がいい」という考えから、射殺していました。

しかし、もう闇稼業からは足を洗ったカリートは、殺さずにベニーを放っておきました。

その頃クラインフェルドは、口止め用にと検察側証人に渡すよう預かった100万ドルをネコババした件で、マフィアのボス「トニー」に獄中で脅されていました。

「脱獄を手伝わなければ、殺すぞ」

クラインフェルドはカリートに「脱獄を手伝わないと俺は死んでしまう!助けてくれ!」と頼まれます。

クラインフェルドには大きな借りがあるため、その仁義を通そうとカリートは了承します。

5年ぶりにあった恋人のゲイルに「あんな人の頼みは聞かないで、ちゃんと闇から足を洗って。私のために」と願われますが、カリートは仁義を優先。

当日脱獄を手伝いますが、突然クラインフェルドは現場でトニーとトニーの息子を殺害。

クラインフェルドの狙いは、この二人を殺害することなのでした。

カリートは計画にない殺しに巻き込まれたことに激怒。クラインフェルドと縁を切ります。

その後クラインフェルドはトニーの仲間に殺害されます。

カリートは一刻も早く国を出るため、貯めた金を回収しにナイトクラブへ向かいます。

しかし既に手のものが来ており、これから逃げ、ゲイルの待つ「グランド・セントラル駅」に11:30までに向かおうとします。

激しい銃撃戦を繰り返しながらも最終電車に間に合ったカリート。ゲイルとの再会を果たしますが、サイレンサーを持った「ベニー・ブロンコ」に撃たれてしまいます。

泣き喚くゲイルに貯めた金を渡し、「これでどこかへいけ」と言います。

カリートは朦朧とする意識の中で、南国で踊るゲイルのことを想像します。

「この町はあの女が居ていいような町じゃない。今夜は長かった。疲れたよ。」

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カリートのもがきと苛立ち

本当にマトモな生活がしたい。そのために裏の世界との関係を断ち切ろうとするカリート。

しかしそう簡単には、マフィアの世界は許してくれません。

かつての貸し借り・裏切り・嘘・金。あらゆる闇の側面が、水面から這い上がろうとするカリートの足を引っ張ります。

すぐにその場の状況を理解し、最も適切な行動を取る。この世界では「殺される前に殺す」。コレが鉄則。

カリートは一級の頭の回転の速さで、修羅場をくぐり抜けてきました。

しかしそんな彼も、2つ重大なミスを犯します

1つは、自分で映画前半で「この世界に友達なんて呼べるものはいない」と言っていたにもかかわらず、弁護士のクラインフェルドを「親友だ!」と言って、彼の頼みを聞いてしまったこと。

コカイン中毒な彼の頼みを聞くことは、どう考えてもリスクです。それを承知の上で「友人」という理由で手助けを選択してしまうカリート。

もう1つは、殺すべきベニーを殺さなかったこと

カリート自身も「こういうときはこいつを殺すべきだ。でも俺はしなかった。」と言っていたように

マフィアの世界でボコボコにするだけしておいて、逃すことは、復讐を許すことです。

カリートは自身の「カタギに戻りたい」という信念を理由に、殺しませんでした。

マフィア世界からすれば、完全な判断ミスです。

とはいえ、カリートは「カタギ」になるため奔走していました。

その姿に観客である我々も、応援したい気持ちが募っていきます。

しかしどれだけカリートが頑張っても、過去の幻影がついて回ります。

また、幻影期の頃のカリート自身の怒りっぽい性格や、「男の美学」的考え方が邪魔をしてしまいます。

冒頭でカリートが最後撃たれて死んでしまうことはわかっているため、これらの「足を引っ張ってくる奴ら」に対してのフラストレーションが抑えられる仕組みになっているのかなと思います。

結末が明かされていない場合、カリートの運命は現在進行形になるため、これらの足を引っ張ってくる存在へのフラストレーションが高まるばかりですから。

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そんなことよりアル・パチーノがシブい!

アル・パチーノの演じる「カリート」。

ただ話しているだけでも、酒を飲んでいるだけでも、座っているだけでも存在感があり、映画として成立する。そんな迫力を持っています。

男臭く、火薬と麻薬の匂いに塗れた世界を、真っ黒のレザーコートで闊歩する「本物のマフィア」。

当時50歳ごろのアル・パチーノの魅力が詰まりまくった作品です。

この、会話劇やキャラクターに魅力がありずっと見ていられる感覚は、タランティーノ映画にも近いものがあると思います。

余談ですが、本作のアル・パチーノは時々山田孝之に見える時があります。笑

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ダンスシーンが良い

本作には、ナイトクラブや、ストリップクラブなどのシーンが多数出てきます。

そこでの各シーンが本当にイイ!

おそらく、現代ではクラブでかかっている音楽は重低音のすごいEDMのような曲。(ジョン・ウィックなどのような)

そうではなく、80〜90年代のディスコ・ジャズなダンスミュージックに合わせて踊る各シーンには、気品が漂います。

特に女優「ペネロープ・アン・ミラー」のバレエダンスは非常に素晴らしいです。

昨今の映画では環境情報としてだけ消費される「クラブシーン」。

そのクラブシーンでのひとダンスを芸術に昇華しているこのシーンには、拍手を送らざるを得ません。

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まとめ

fox sticking it s tongue
Photo by Pixabay on Pexels.com
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今回は1993年の映画「カリートの道」をレビューしまシタ。

自分の生まれる前の作品を30年近い時を超えて観たわけですが、そんな自分にも心に訴えられるメッセージがありました。

これって凄いことです。

この映画が公開された時、僕はまだ存在していなかったわけです。

良い映画は、時代を超えても色褪せません。

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