自◯のお手伝いはお任せください
今回は、フランス発の2012年公開のアニメ映画「スーサイド・ショップ」を考察します。
鑑賞後に調べていてわかったのですが、ひろゆきがYoutube生放送で最近見た面白い映画として本作を挙げていたんですね。知りませんでした。
全体的に陰鬱な雰囲気がありながらも、なんとなくコミカルで嫌いになれないキャラクターが登場。
ティム・バートン作品のような雰囲気があります。
ざっくりあらすじ(ネタバレ)
先祖代々、自◯道具専門店を営んできたトゥヴァッシュ家。舞台は近未来のフランス。
毎日のように街の至る所で自◯者が。フランス政府は、公衆の面前で自◯した場合、罰金として遺族に請求がいくという新法を設立。
それでも自◯者は後を絶えません。変に失敗すると障害が残ったまま生きなくてはならなかったり、苦痛を伴ったりします。こうした希望者をしっかりと自◯に導いていく。それがトゥヴァッシュ家の務めです。
父親のミシマ、母親のイザベル、長女のマリリン、長男のヴィンセントの4名は、この世は暗く悲惨なものであるという考えを持っています。
トゥヴァッシュ家において、褒め言葉は人生を明るくさせてしまう最悪の言葉。可愛いとかそういうことは言ってはいけません。ブスだとか、そう言った言葉を言われると「ありがとう」となります。
そんな一家にあるひ次男・アランが誕生。しかし、様子がおかしい。次男は生まれたその瞬間から、顔がニッコニコ。満面の笑みです。トゥヴァッシュ家の子供は笑わないはずです。
成長してもアランはこの世界のあらゆるものが幸せで仕方ありません。父であるミシマは、アランの存在が絶えられなくなります。
そんなとき、アランは友人と一緒に、自分の家である自◯道具専門店を壊そうと計画を立てます。
超爆音スピーカー搭載の車を家の前に停めて、音楽を流します。その振動で店の中はぐちゃぐちゃに。ミシマは激怒し、日本刀を手にアランを追いかけ回します。
ビルの屋上まで追い詰めたところで、アランは「お父さんをもし笑わせたら、僕のことを許してね」と言い、ビルから飛び降ります。
ミシマはその瞬間、とても後悔します。アランが身を投げたことで我に帰ったのです。
後悔したその瞬間、落ちたはずのアランが姿を表します。下ではアランの仲間がトランポリンを用意してくれていたのです。
ミシマは改心。自◯道具専門店をやめ、マリリンの彼氏と共にクレープ屋を営むことにするのでした。
舞台となるフランス
映画で登場するフランスは、登場人物のほぼ全員がこの世に絶望しており、目に活力がありません。
基本的にずっと「死にたい」という気持ちがあり、迷っているという感じ。
街並みが登場するシーンでも、車がぐるぐると渋滞していたり、通勤の苦痛さみたいなところも垣間見えます。
犬や鳥もみんな死んだ魚の目をしています。
自◯大国である日本も、こう言った雰囲気があるように感じます。
事実上、人生=辛いもの。悲しいもの。になってしまっているんですね。
世界がこのように見えている人は、日本ではかなり多いのではないでしょうか。その点では、異常な状況なのに世界観に入りやすい映画です。
ミシマの葛藤
トゥヴァッシュ家の跡取りとして、自◯道具店を営んできたミシマ。
人生は最低・最悪なものという考えのもとで、あの世へ行く手伝いをするという考え方のもと、商売をしています。
しかしそんなミシマも、罪悪感がないわけではありません。人生は辛いことだけではありません。
亡くなっていく人達に少しでも感情移入してしまうと、こっちがやられてしまいます。
そんなミシマにとって、人生に喜びを見出す息子アランの存在は耐えられないのです。
ミシマは精神を病んでしまいます。自分のやっていることとアランの存在との間に板挟みになってしまうのです。
ミシマのやっている事は、人助けのはず。でも本当にこれは正しい事なのか。わからなくなっていく。
ではここで、謎なのが「なぜ笑わないはずのトゥヴァッシュ家に、笑ってばかりのアランが生まれたのか」です。
なぜアランは笑うのか
兄と姉であるヴィンセントとマリリンは、笑いません。これが正常なはずです。
3人目の子供であるアランが突然、ニコニコの天真爛漫っ子になるのは不自然。
何か理由があるはずです。
生まれた後、外部環境から笑うのであれば後天的ですが、アランは出産直後すでにニッコニコでした。
つまり、先天的です。
生まれつきニッコニコなのです。
原因を考察してみます。おそらく以下3つになるかと思います。
- 神の使い
- 障害
- 父・母の悩みを反映している
先ずは神の使い説。
自◯という行為は、基本的に神の教えに背く行為な訳です。
これを推奨しているトゥヴァッシュ家の第3男として、神が使わせた存在であるのでは?という説です。
次に障害説。
「笑わない。この世に絶望している。」ことが正常とすると、「ニコニコ。この世が幸せ。」は異常なことです。
加えて、生まれつき正常な状態が欠乏しているわけですから、アランはなんらかの障害児ということになるかもしれません。
この障害があったからこそ、一家はより幸せな人生を追求するようになるのです。
最後は僕が最も可能性が高いと思っている、父・母の悩みを反映している説です。
父ミシマと、母イザベルは、自身の行っている商売に対して、罪悪感や正しいことなのかどうかという悩みを密かに抱えていました。
おそらく年月と共にそれが大きくなっていき、それが子供に反映されたのではないでしょうか。
先天的にアランが笑っていたことから、こうした「幸せを望む気持ち」の表れがアランに出現した可能性が高いです。
まとめ
今回はフランス発のアニメ映画「スーサイド・ショップ」の考察でした。
フランスの映画はこれまで見たことがなかったのですが、意外と見やすく、可能性を感じました。
自◯がテーマの作品は、「美化するな」のような意見がよく出るので、評価が振るわないことが多いかと思います。それもあってか本作は★3ほどの評価になってます。
でも★3.8くらいはあってもいいんじゃないかとおもう出来でした。アニメーションも可愛かったですし。
フランスの映画というのも珍しいですし、ぜひ一度見てみてください。
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