当事者として稲田豊史の映画論を考える
今回は、映画系編集者・ライターの「稲田豊史」さんの
「映画を早送りで観る人たち」について、文中に登場する「若者たち」に該当する
当事者である僕(20代前半)が、考えてみマス。
稲田豊史さんの論評「映画を早送りで観る人たち」が非常に面白く、当事者世代としても納得の内容でした。
「映画を早送りで観る人たち」は、2021/3に投稿された、現代の映画の見方についての記事です。
【URL】https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81647?imp=0
稲田豊史とは?
いなだ・とよし
1974年9月13日生(現47歳)
横浜国立大学経済学部卒業
映画配給会社・出版社で、ゲーム業界誌の編集記者などを経て、ポップカルチャー・エンターティメントビジネスなどを中心とした書籍出版・編集者・コラムニスト。
「セーラームーン世代」「のび太系男子」などの造語を作り出す。
「映画を早送りで観る人」概要
稲田さんによると、NETFLIXに1.5倍速再生、10秒スキップや10秒戻しなどの機能が出現してから、「映画を早送りで観る人」が若者を中心として出現しているといいます。
また、記事の中で「倍速にして、会話がないシーンや風景描写は飛ばしています。自分にとって映画はその瞬間の娯楽にすぎないんです」「主人公に関する展開以外は興味がないので、それ以外のシーンは早送り」という世間の声も公開されています。
稲田さんはこの「映画を早送りで観る」と言う文化の出現について、その原因を以下の3つに分類し分析しています。
- 映像作品の供給過多
- コスパを求める人の増加
- 説明的作品の増加
1:映像作品の供給過多
Netflixをはじめとしたサブスクサービスは、千円くらいで入れるものがほとんど。
これらの出現前は、ビデオをレンタルするなどし、1本あたりにかかる価格と、時間の比重が高かったため、いかに短期間で数をこなすかが重要となっています。
2:コスパを求める人の増加
特に若者層に多い、「最短でオタクになりたい」と言う考え方が蔓延しているといいます。
何かについて詳しい「オタク」として語れるものを増やしたい。と言う考えの元、最短距離で本数を踏むため、映画の大枠だけを摘み取れる「ファスト映画」や、早送り視聴が伸びているとのことでした。
3:説明的作品の増加
これについては、特に日本に見られる特徴とした上で、
大ヒットを記録した「鬼滅の刃」について
主人公の炭治郎は、雪の中を走りながら「息が苦しい、凍てついた空気で肺が痛い」と言い、雪深い中で崖から落下すると「助かった、雪で」と言う。しかし、そのセリフは必要だろうか。丁寧に作画されたアニメーション表現と声優の息遣いの芝居によって、そんな状況は説明されなくても、わかる。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81647?page=5
と述べています。
つまり、これは観客が「読み取る」必要がないということです。
与えられた情報を一方的に享受する。
こうなると、観客は「説明のないシーンは不要なシーン」と言う脳になり、結果、セリフがないシーンや景色だけのシーンなどを飛ばしたり、セリフさえ追えればいいので早送りにしたりする。と言うことです。
これら3つを挙げた上で、稲田さんは「その飛ばした10秒の中に、とても大切な意味があり、ディズニーランドを歩くように、映像空間を堪能することが大切である。としています。
映画を早送りで観る人は「愚か」か?
では、映画を早送りしたり、飛ばして観る人は「愚かなのか」について
若者当事者世代として、考えてみマス。
まず、僕個人の「好み」としては、非常に稲田さんに共感しています。
小説等でよく「行間を読む」といいますが、台詞と台詞の間の映像にこそ、映画の魅力はあると考えているからです。
加えて、僕にとって痒いところだった、日本映画文化の「説明しすぎ」についても言及しており、非常に共感できました。
僕が鬼滅の刃をどこか好きになれないのは、この「説明しすぎ」に違和感を覚えたからです。
しかしこれが日本においてヒットするには必要な要素であることは、理解しています。
と、ここまでの僕の「好み」は置いておいて。
稲田さんと、映画を早送りで観る文化、の間に中立に立った時
「映画を早送りで観る人」は愚かなのでしょうか。
結論、それは「NO」と言えるでしょう。
50年、40年と生きてきた人間からすれば、「映画というのは時間をかけ、じっくりと読み込むもの」
と言う考えがあるのは当然です。なぜなら実際、この頃の映画はそうだからです。(日本映画についても)
しかし、現在はInstagramやTilktokといったSNSの流通により、「映画」そのものの形態が変わっています。
稲田さんのあげた理由3つが当たり前となっている社会で育つ若者(デジタルネイティブ)たちは、いかに本数をこなすかが重要視されており、詳細は必要ありません。活字離れやテレビ離れが騒がれるのは、「早く・必要な情報に」と言う考えが、デフォルトで若者に備わっているからです。
今や、ストーリー・Tiktok・Youtubeショートなど、動画文化は短く短くなっていっています。
その中で2時間同一の映像を見ると言うこと自体が、そもそも異常なことなのです。
そのような人たちからすれば、早送りだろうがなんだろうが、「映画を見ているだけいい方」なのでしょう。
ですから、必ずしも愚かとは言えません。
さらに、稲田さんがあげた、3つの原因に加えて、そもそも「映画を簡単に操作できるようになった」と言うことが挙げられるのではないでしょうか。
元々、映画館で映画を見るしかない頃は、もちろん映画というのは決められた時間に始まり、決められた時間に終わるものでした。
ビデオ・DVDとなった際に、一時停止や早送りが登場しましたが、その操作は直感的には行えず、リモコンを噛んでの操作でした。行きすぎてしまったりしてしまうこともしばしば。
なんといっても、家庭でも複数人で見る場合は、まずこういった操作はあまりしませんでした。
現在、個人個人にスクリーンが割り当てられ、一人で映画を操作します。加えて、1タップで直感的に操作できることがその原因となっていると考えられます。
愚かではないか、正しくはない
映画を早送りでみたり、飛ばしたりして観ること=愚かなこと ではないと先述しました。
しましたが、その上で「映画を早送りしたり、飛ばしたりして観ること」は正しい映画の見方ではないと考えます。
映画は始まってから終わるまでの全てで作品。差し込まれる全シーンに意味があります。全てが誰かの意思によって作られているものだからです。
主人公が道をただ歩くシーンも、テレビの密着番組で芸能人を追っているだけとは違います。
「ただ写っている」のではなく、映画は「すべてに意味がある」からです。
たまに、映画を見終わった後の感想戦で、「あのシーンの天気の悪さは主人公の心情を表してたよね」的なことを言うと、「そんなところ見てなかった。関係ないんじゃない?」と返してくる方がいます。
こうした、「映画内に意味のないものがある」と言う考えのもと、映画を見る人が一定数いるのは事実です。
起承転結のキーだけを追うと、大切な全体像を見失ってしまいマス。
タランティーノ作品など、世界観とストレスをどっぷり楽しむ映画を観るとよくわかりマス。
しかし、映画に意味のないシーンはありません。(意味のないシーンのある映画は、悪い映画です)
ですから、正しい映画の見方は「早送りしたり、飛ばしたりしない」ことなのです。
見逃しだとか、気になった点に「戻す」ことは、いいかもしれませんね。
かくいう僕も、このブログ「LESSON FIVE」では、映画のネタバレ感想シリーズを投稿しています。
これは、言うまでもなく、この「ネタバレ感想」がよく検索されるためです。
ネタバレ感想を検索する人の心理は、映画を見ずして映画の起承転結を知りたいと言うニーズがあります。
僕は、これを書くとき、あえて荒い粒度でネタバレをし、できるだけ深く考察するようにしています。
この深い考察を見て、本編の映画の魅力を伝えたいと言う思いがあるからです。
映画の見方とは、情報とメッセージの塊である映像を咀嚼し、自分の中でよく消化することなのです。
若者の苦悩
「若者が最短距離でオタクになろうとする」について、なぜ最短距離でオタクになろうとするかについては触れられませんでした。
スマホ登場以前の世代は、入ってくる情報の大部分がテレビでした。ベーシックにみんなが同じくらいの情報量を持っているため、基準点が揃えられます。
その上で、年間50本映画を見る人や、レコード・CDを100枚持っている人は、映画好きだったり音楽好きと名乗れたわけです。
しかし今若者はテレビを見ません。そもそもの基準点がズレています。
「映画が好きな人」は氾濫した情報の中で、年間300本、もしくはそれ以上見るかもしれません。
「音楽が好きな人」は、CDだけにとどまらず、そのアーティストのドキュメンタリー映像や、Youtubeチャンネル、Webマガジンからブログまでチェックしなくてはいけません。
「年間50本映画を見る人」が「映画好き」となると、かなりの大部分の人がこれに当たってしまいます。
こういった中で、若者は、自分の好きなものを好きと発言する権利を獲得するためや、多すぎる人気作品を抑えるために、時間を凝縮してコンテンツを消費しなくてはいけないのです。
缶チューハイで「ストロング缶」がよく売れるのも、こういった理由です。
より安く・より早く酔える、ストロング缶の需要が高まっているのです。
こうした若者の時間的余裕のなさを産んでしまっているのは、社会全体の責任なのです。
まとめ
今回は、映画消費の新時代「サブスク時代」における
「映画の早送り」について、稲田さんの論に当事者目線で考察しまシタ。
自分も、映画視聴中にLINEの通知がきて、ピクチャインピクチャにしてちょろっと返信したり。
本当の意味で邪魔なく映画を見れるのは、映画館だけなのでしょう。
最近は、プロジェクターを購入し、擬似映画館としてその間スマホを見ないなどして、映画と向き合っています。
今まで早送りをしてきた方々が、この記事を読んで、今一度映画の見方について考えるきっかけになっていただければこの上ない幸せです。
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