「インタラクティブ」という可能性の模索
今回は、Netflixオリジナルの”インタラクティブ映画”、「ブラック・ミラー・バンダースナッチ」について考察したいと思います。
そもそも、ネトフリにインタラクティブ映画というジャンルが存在することを知っていますか?
あまり有名になっていないのが正直なところで、面白い作品もまだまだ本数が少ないです。
インタラクティブ映画とは、映画の途中に選択肢が出現、視聴者は選択することによって物語が枝分かれし、進んでいくという作品のこと。
観客が選択した結果によって物語が変わっていくので、相互作用(インタラクティブ)的な映画になっているということですね。
ざっくりあらすじ(ネタバレ)
クリエイター志望の青年が、ある小説が原案のゲームを企画。マルチ分岐シナリオが評価され、制作が始まる。そして次々到来するさまざまな選択の場面。彼の物語は、視聴者が取った選択肢によりその様相を変えていく。
彼は時々、自分の意思では制御しきれない「他者の意志」を感じる。次第にそれは気のせいではなく、明確な存在を感じ始める。(=見ている僕ら)
段々とエスカレートする選択肢、そして明かされる真実。(明かされる真実については、マルチエンディングっぽいので、自分の目で確かめてください)
有効的なメタ演出
インタラクティブ作品である本作は、上記の画像のように2つの選択肢が登場。
この場合だとコンピューターにお茶をかけるのか、父親に怒鳴るのかを「視聴者」である僕達が決めるわけです。決めた選択に従い、主人公は行動していきます。
こういった、選択肢を選択して進めていくものは、ゲーム界ではよくあるもの。
例えば「デトロイト:ビカム・ヒューマン」というゲームでは、4つの選択肢からプレイヤーが行動を選択。それによって無数の枝分かれをしていき、たどり着く結末も全く違うというもの。
こうした、選択型マルチエンディングゲームはよくあるものでしたが、ブラック・ミラー・バンダースナッチが異質なのは、プレイヤーの存在を主人公が意識し始めることです。
主人公の意志=プレイヤーの意志なのがこれまでの通例でした。
しかし、本作では、主人公の意志は主人公の意志として存在しており、その上で絶対的な存在としてプレイヤーの意志(選択)が存在しているのです。
例えば、主人公が右へ行きたいと思っていたとしても、プレイヤーが左を選択した場合、主人公は「右へ行きたいのになぜか左へ体が動いてしまう」という状態に陥ります。
ここから、主人公は「何か他者の意志が自分に介入してきている」と勘繰り出します。
ここから結局、最終的には主人公がお前は誰なんだ!と話しかけてくるところまで行きます。
ここで「我々はNETFLIXです」と主人公に伝えることもできます笑
この、メタ演出の使い方が究極で、非常に効果的です。
ホラーとかではない怖さ
前述した、究極のメタ体験によって、段々と主人公は狂っていきます。
ホラー映画とかでよく感じる怖さではなく、「自分が今この青年を狂わせてしまっている」という意識が段々と恐怖に変わっていくようにデザインされています。
やめてくれ!という主人公に対しても、無慈悲に選択肢が出てきます。それに対して我々は選択をし、主人公に不可避の指示を出し続ける。そして壊れていく主人公。
圧倒的な弱者に対して、相手が干渉できない位置から拷問をしているかのような特殊な状況が段々と怖くなってきます。
この辺りが「ブラック・ミラー」の真骨頂ですね。
ネトフリだからできるワザ
これまでの映画館で見るしかなかった映画では、数百人が1つの箱で見るものでした。
それは一方的に供給されるものでしかなかったわけです。
しかしネットフリックスという、動画配給サービスの登場によって、映画と観客は1v1という構造に。
しかもそれぞれの操作可能なデバイスで見ることができます。これによって、インタラクティブな映画が誕生したわけです。
これはいわば、ゲームと映画の間にある存在として、全く新しい文化が登場したわけです。
今はまだブラック・ミラー・バンダースナッチほどの完成度をもったインタラクティブ映画は登場していませんが、恋愛映画などでも応用が効きそうです。
まとめ
今回はネットフリックスで配信中の、全く新しい映画「ブラック・ミラー・バンダースナッチ」についての考察でした。
元々ゲームが好きだった僕は、「映画を操作できるようなゲームをやりたい」と思っていたこともあり、これが現実となったことに驚きが隠せませんでした。
これからは当たり前のようにスマホなどのデバイスで映画を見る時代。こうした新しい機能を持った映画も増えてくるでしょう。
もし仮に、映画館の座席にスイッチがついていて、多数決で話を進めていく映画ができたら、それはそれで面白いかもしれません。
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