真偽は自分の管理下にない。
今回は、2011年公開の映画、「シャッター・アイランド」について考察したいと思います。
主演は僕の大好きなレオナルド・ディカプリオ。
考察の前に、このシャッター・アイランド、原題も「shutter island」ということで変な副題もついていない点がそもそもgood。(〜閉ざされた島〜みたいなやつですね)
映画ポスターにもチープなキャッチコピーなど書かれていないので、その点も最高です。(その島には知ってはいけない秘密がある…みたいなやつですね)
個人的に、レオナルド・ディカプリオは焦ったり、狂ったり、怒ったりする演技でが本当に最高だと思っています。
「迫真」という言葉が一番似合う演技をしてくれるんですよね。
そんなディカプリオの良さが存分に出た作品となっています。
ざっくりあらすじ(ネタバレ)
アメリカ、海に浮かぶ孤島の精神病施設兼刑務所である「シャッター・アイランド」。
ここに収監されていた、自分の子供3名をあやめた犯罪者、レイチェルという患者が失踪しました。
この事件を解決するため、本土より派遣された捜査官のテディ(レオナルド・ディカプリオ)は、助手のチャックと共に調査を進めます。
実はテディにはもう一つの目的がありました。
それはかつて自分の妻をあやめた放火魔、「レディス」との接触を果たす事でした。
レディスの情報は病院にはなく、誰に聞いても不自然に知らないと口を合わせるばかり。
何かが怪しいと踏んだテディは、案内されなかった「灯台」に何かがあると踏み、調査に向かいます。
灯台近くに洞穴を発見。中にいたのは、「レイチェル」でした。
しかしレイチェルの正体は患者ではなく、医者でした。レイチェルは、病院が行おうとしている医療行為「ロボトミー手術」の非倫理性を内部告発しようとし、病院関係者に見つからない場所で過ごしていました。
テディは灯台に何か秘密があると確信し、上を目指します。
そこにいたのはコーリー院長でした。
コーリー院長は「真実」を語り出します。
テディの正体は、テディ自身が追っている「レディス」であり、テディ自身が妻をあやめていたという事。
テディは戦争の影響で精神病となっており、酒浸りに。それに耐えられなくなった妻が自身の子供3人をあやめてしまいます。
それを知ったテディが妻をあやめてしまい、この病院に送られてきたのだといいます。
精神病を起因とした妄想が激しいため、これを妄想の通りにロールプレイングすることで、矛盾点に気がつき、精神病が改善するのではないかと病院側が考えたのでした。
相棒のチャックは、テディの主治医だといいます。
結局、テディは治りませんでした。そのため、ロボトミー手術を受けることになります。
テディは「モンスターのまま生きるか、人として死ぬか」と言葉を残して、手術へ向かうのでした。
ロボトミー手術とは
ロボトミー手術とは、実際に存在していた治療方法です。
大脳の神経系を全て切断させる手術。暴力的・破壊的な行動は抑制できたものの、人間としての活動がままならない、「廃人」となってしまいます。
ということで、現在は禁止されている危険な治療法です。
処置時は、瞼の裏から脳に向けて針を刺し…。とにかくグロいです。。
辻褄ががっちり合う
映画を通して、不可解な点が多く出てきます。
これはサスペンス・ミステリー映画では絶対と言っていいほど発生する展開です。
しかしこれが、「主人公側がずれていて、真実は全く動かずにそこにあるだけ」だったという展開が面白いです。
テディが追っていた放火魔「レディス」のデータが無い。この病院に入院しているはずなのに。という展開。
最終的に明らかになるのは、「レディス=テディ本人」だったということ。
だから、放火魔レディスのデータが無いのは当たり前なのです。
相棒であるチャックの言動がどこか不自然であることも、実際の正体はただの主治医だったわけですから、合点が行きます。
どこが現実?どこが妄想?
映画を見終わる頃、まず考えるのは「どこが現実でどこが妄想なんだろう」ということ。
本作では「炎」と「水」が効果的に使われています。
実はこれが、現実と妄想の使い分けとなっているのです。
「妻が子供3人を溺死させてしまった」という事件が起きたのは現実です。これは「水」が強く関係しています。
これを受け入れられないテディは、対抗するものとして「炎」を妄想してしまいます。
例えば、放火魔。火に強く関係している存在ですが、これはテディの妄想でした。
マッチを灯すシーンも、火に関係しているため妄想フェーズとなっています。
火が登場するシーンは妄想、水が登場するシーンは現実となっているのです。
「モンスターとして生きるか、人間として死ぬか」
テディがロボトミー手術へ向かう前に残した「モンスターとして生きるか、人間として死ぬか」という言葉。
これは、仮にロボトミー手術を受けるべき「精神異常者」からは出ない発言です。
なぜなら、精神異常者であればロボトミー手術を受けさせられることは、「病院側の陰謀」という理解になるはずだからです。
そうではなく、「モンスターとして生きるか、人間として死ぬか」と発言。
精神異常者として生きるくらいなら、人間として壊れてしまってもいい。
現状を認め、その上で自分をコントロールできないことを理解したからこその発言です。
真実は自分では決められない
この映画を通して感じたのは「真実は自分では決められない」ということ。
もちろん、テディのように精神病に罹っていた場合は、真実の真偽を理解するのはかなりの難しさでしょう。
そうではなく、我々健常者でもこれは該当します。
今ウクライナで起きている戦争でも、プロパガンダで情報操作がなされ、何が正しい情報かはわからなかったり。家庭環境や置かれている社会慣習によて善悪が違ったり。
結局のところ当人の思う「真実」は他者から見た場合、全く違う様相になります。
特にシャッターアイランドは、孤島。俗世から切り離された情報空間を表しているようにも見えます。
明日は、我々が第二のテディになってしまうかもしれません。
まとめ
今回は、映画「シャッターアイランド」の考察でした。
初めて観賞したのは4年前ですが、それ以来定期的に見てしまう映画です。
何が虚構で何が真実かがわからなくなっていくのが、いつ前経っても忘れられない名作です。
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